市井の僧侶・釈丞西さんが問いかける『他力』の生き方
見えない繋がりで生かされている親鸞聖人の“み教え”の根幹『他力』

2026年05月号

これまで小西さんが『他力』をテーマに刊行してきた小冊子

多くの人にとって、葬儀などの特別な出来事や家族の命日といったことがない限り、生活と宗教が混じり合うことはあまりない。だが、本誌で折に触れて紹介している釈丞西さん(86、本名・小西征夫さん)は、まさに暮らしと宗教が混然一体となった日々を過ごしている。現役時代に仏門に帰依し、80歳で仕事をリタイアした小西さん。以後、草莽の僧侶として浄土真宗の“み教え”の根幹である『他力』について、少しで多くの人にも知ってもらいたいと地道に活動を続けている──。


『他力』に導かれた人生


 小西さんは、これまでに『他力』に関する小冊子を11冊刊行してきた。『他力』は人生の拠りどころとなる考えで、日常生活と宗教が切っても切れない関係にあることを示している。小西さんの生い立ちを辿りながら『他力』の意味を探してみた。
 小西さんの生まれ故郷は、石川県加賀市。親鸞聖人の“み教え”を熱心に受け継いできた加賀門徒の家に生まれ、本家筋は浄土真宗の寺院ということもあって、小さい頃から浄土真宗は身近な存在だった。仏壇に向かって手を合わせ、何かあれば「南無阿弥陀仏」を唱える幼少期を過ごした。15歳頃になると、< 人生わずか50年。花にたとえて朝顔の露よりもろき身をもって…> で始まる人生念仏偈を書写読誦していた。
 小西さんは、上梓した小冊子で当時を振り返り、「その頃の私は、意味は分からなくても何回も『人生念仏偈』を読誦しているうちに、何となく平穏な心地よさを感じながら、将来はお坊さんになろうかと考えていた」と書いている。その後、中央大学法学部に進学。卒業後は大江健三郎や石原慎太郎に触発されて、お坊さんになる夢はどこへやら、牛飼いか作家になると本気に考え、さしたるあてもないのに北海道に渡った。
 見つけたのは恵庭市の酪農家でのアルバイト。住み込みで毎日牛の世話をしていたが、あまりの重労働に挫折。今度は小説家を目指した。
 札幌駅北口のアパートに間借りして、新聞配達をしながら小説を書いては懸賞に応募する日々が続いた。しかし、一向に採用されない。
 夢をあきらめかけたときに出会ったのが、同じアパートに住むデパート勤務の女性だった。知り合った後、小西さんは好意を抱くようになり、やがて2人は交際を始める。互いに結婚を意識するようになった時、女性の「定職に就くことが条件」という一言が、その後の小西さんの人生を決定づけた。そして見つけたのが、不動産業界紙の記者職だった。
 勤め始めてから2人は結婚したが、5年目の30歳になった時、「住宅産業新聞社」を設立して小西さんは独立。創刊した1970年当時、道内の住宅不動産業界は黎明期で、原野商法と呼ばれる悪徳商法も蔓延っていた。業界の健全発展をサポートするのが創刊の目的でもあった小西さんは、行政とも連携しながら住宅不動産業界の啓発指導に力を注いでいった。紙齢を重ねるにつれて信用も得て社業も発展していった。普通なら自分の力ゆえと思っても不思議ではないが、子どもの頃から浄土真宗の“み教え”が骨身にしみている小西さんは、行政や経営者、業界団体との縁の深さ、恩徳、支援の賜物と考え、『他力』のなせることという思いを強く抱いたという。
 親鸞聖人が説いた『本願他力』とは、「他人の助力」を当てにすることではなく、阿弥陀仏の本願力を拠りどころにするという意味を表している。簡単に言えば、ひとりで生きているのではなく、見えない力に生かされているということ。名誉、地位、金は自力で掴み取れるものではなく、他力によってもたらされるものであることを示している。
 小西さんは平成7年、55歳になってから一念発起、京都市本願寺研修道場西山別院で研修習礼を受けて僧侶になる得度式を終え、本願寺僧侶として釈丞西の法名を授けられた。そして、北海道教区札幌組證誓寺衆徒になった。業界紙経営と僧侶と言う二足の草鞋を履いた小西さんは、新聞発行を続ける傍ら、週末には證誓寺で修行に務める生活を続けた。
 創刊から半世紀を経た令和2年、80歳を迎えた小西さんは、住宅産業新聞社とその後に設立した住宅流通研究所を同業者に売却、譲渡した。ここに至って多感な時代に「お坊さんになろうか」と漠然と考えていた夢をようやく実現したのだ。
 小西さんは、令和3年3月から小冊子『おゝ他力よ!! 他力!』シリーズの自費出版を始めた。大きく影響を受けた宗教家で、真宗大谷派僧侶・哲学者の清沢満之氏の『絶対他力の大道』を、自分の人生と重ねて紹介するのが目的だった。集大成となった10冊目と11冊目はペアになるように刊行された。10冊目のタイトルは『喜び歓ぶ 札幌駅北口界隈』、11冊目のタイトルは『喜び歓ぶ 札幌円山桜通り』。札幌駅北口は、小西さんにとって北海道で始まった人生の出発点であり、原点の地でもある。一方、円山桜通りは、一人暮らしとなった小西さんが住むサ高住の前にある通りの名称で、文字通りここを終の棲家として、仏教の教義、教章に専念する地である。
「人は幸せに生きたいと思って生き、死にたくないと思って死ぬ。なるようにしかならない。それこそが『他力』の真髄であり、『南無阿弥陀仏』です。今、私は毎日、毎朝、十年一日の如く読経をしています。『聞其名号 信心歓喜』(もんごみょうごう しんじんかんぎ= 阿弥陀如来の救いの名号である南無阿弥陀仏を聞き入れ、疑いなく信じて喜ぶ心が起きた時、無条件で救われ往生が定まることを示す)の心持ちで嬉しくてしようがないのです」と、小西さんは穏やかに話している。

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