堂守が亡くなったオタモイ地蔵尊の行方
断崖に残された“小樽の原点”「オタモイ地蔵」の歴史と価値

2025年10月号

オタモイ地蔵尊はオタモイ海岸の断崖中腹に祀られている
(人物以外の写真は小樽商大の高野さん提供)

小樽市オタモイ海岸の断崖にある「オタモイ地蔵尊」の堂守、村上洋一さんが亡くなっていたことが2023年4月に分かり、地元の関係者が地蔵尊の今後の存続について協議を続けている。地蔵尊まで続く海側の約700メートルの遊歩道は2006年3月の土砂崩落で通行禁止。地蔵尊の裏側の山道周辺も土砂災害警戒区域に指定されており、地蔵堂への参拝は難しくなっている。小樽の文化遺産に詳しい、小樽商科大学客員研究員の高野宏康さん(51)は「子宝地蔵として知られているオタモイ地蔵尊は、元は北前船で海難事故にあった人たちの供養のために祀られたものです。小樽の原点ともいえる地蔵なので、移転を含め現在地での存続が可能かどうか検討していきたい」と話している。

(武智敦子)


最後の堂守の死


 切り立った断崖絶壁と積丹ブルーの海に浮かぶ奇岩。荒々しくも美しいオタモイ海岸の断崖中腹にあるのがオタモイ地蔵尊だ。「子宝地蔵」として有名だが、小樽商大の高野宏康さんによると、この地蔵尊は忍路や高島の場所請負人で北前船の船主でもあった西川家が、江戸時代末期に北前船の海難犠牲者を供養するため寄進した約100体の地蔵のうちの一体だという。明治中期以降、北前船の海難事故の犠牲になった身重の娘の伝説などから子宝地蔵として知られるようになり、道内外から信者が訪れるようになった。
 地蔵堂周辺の土地は1877(明治10)年から村上家が所有し、代々地蔵堂の管理をしてきた。周辺はかつて集落があり、昭和の最盛期には約7世帯が住み茶屋の売り上げなど観光収入で生計を立てていた。村上洋一さんは会社勤めを経て35年ほど前から地蔵堂の側の家に住み、訪れる参詣者や観光客を迎えてきた。だが、地蔵尊まで続く約700メートルの遊歩道は2006年3月30日の土砂崩落で通行止めに。小樽市は復旧を検討したが莫大な費用がかかることから断念し、遊歩道を通行禁止にした。
 記者は2010年の秋、堂主の洋一さんを取材するためオタモイ地蔵尊を訪ねたことがある。再崩落の恐れがあるとして地蔵堂の撤去・移転を求める小樽市と洋一さんの希望する移転先の調整がつかず、膠着状態にあったからだ。

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